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歴史文化のPC・スマホ用プリント

授業で使用してきた日本史基礎編の歴史文化の勉強用プリントの一部です。PC、スマホ用です。中学の定期テスト、高校受験、高校生の歴史の復習にお使いください。すべてではありませんが、YOUTUBEの動画で説明しています。詳しくは本サイトの動画のページで。

旧石器時代

群馬県の( )遺跡で初めて、この時代の存在が発見された。

( )石器を使っていた

縄文時代

青森県の( )遺跡が有名

( )土器が使われた

( )はどろで作った女性の人形で、食べ物の豊作を願うために作った

( )住居に住んでいた

( )石器を使っていた

( )や採集をしていた

( )は貝や動物の骨を捨てたゴミ置き場

弥生時代

佐賀県の( )遺跡が有名

( )作が伝わった

( )器が伝わった

( )を祭りに使っていた

( )土器を使っていた

( )倉庫を使っていた。

( )が稲の穂を刈り取るのに使われた

古墳時代

( )器が渡来人によって伝えられた

飛鳥時代

( )寺は聖徳太子が建てた世界最古の木造建築物

奈良時代

天平文化 聖武天皇の頃の文化

東大寺の(    )院は(   )造りで聖武天皇の身の回りの品や、遣唐使が持ち帰った物が納められている。

( )記は日本の国家の起こりをまとめた歴史書

( )記は国ごとの地方の言い伝えをまとめた

( )集は和歌集で、貴族や農民の歌が書かれている「貧窮問答歌」が有名

平安時代

( )文化 藤原道長の頃の文化

( )文字が作られ,おもに女性の間で使われた。

( )が源氏物語を書いた

( )が枕草子を書いた

( )和歌集は,紀貫之が編集した和歌集

( )造は貴族たちが自然を庭園に取り入れて住んだ建物。

( )絵は日本の風景や人物が描かれるようになった絵。

鎌倉時代

東大寺( )像は運慶の作による彫刻

( )物語を琵琶法師が語った。

( )を吉田兼好が書いた

( )を鴨長明が書いた

( )和歌集は和歌集

室町時代

( )文化 足利義満の時代の文化

( )寺は義光の建てた金ぱくを用いた建物

( )楽は観阿弥と世阿弥によって発展した芸能

( )文化 足利義政の時代の文化

( )寺は足利義政の建てた現在の住居のもとになっている建物

( )画の名人として雪舟がいる

( )草子は一寸法師などの童話が書かれている

( )記は南北朝時代のことが書かれた軍記物

安土桃山時代

桃山文化 

( )は茶の湯を完成させ、わび・さびを重視する

( )踊りは出雲の阿国によって始められた

( )永徳は屏風絵やふすま絵で有名だった

江戸時代

( )文化 徳川綱吉の頃の文化

( )は奥の細道を書いた

( )西鶴は浮世草子で、大阪の町人での人々の暮らしを小説にした

( )門左衛門は人形浄瑠璃で、義理と人情の世界をえがいた

( )絵は、当時の風俗を描いた絵で菱川師宣の見返り美人などが有名

( )学

( )玄白と前野良沢は解体新書を書いた

( )学

( )宣長は古事記伝を書いた

( )文化 松平定信の頃の文化

( )一九は東海道中膝栗毛で当時の人々の生活をこっけいに書いた 

( )馬琴は南総里見八犬伝を書いた

( )北斎の富嶽三十六景が有名

( )一茶はおらが春という俳句集を書いた

旧石器時代

群馬県の(岩宿)遺跡で初めて、この時代の存在が発見された。

(打製)石器を使っていた

縄文時代

青森県の(三内丸山)遺跡が有名

(縄文)土器が使われた

(土偶)はどろで作った女性の人形で、食べ物の豊作を願うために作った

(たて穴)住居に住んでいた

(磨製)石器を使っていた

(狩り)や採集をしていた

(貝塚)は貝や動物の骨を捨てたゴミ置き場

弥生時代

佐賀県の(吉野ヶ里)遺跡が有名

(稲)作が伝わった

(青銅)器が伝わった

(銅たく)を祭りに使っていた

(弥生)土器を使っていた

(高床)倉庫を使っていた。

(石ぼうちょう)が稲の穂を刈り取るのに使われた

古墳時代

(漢)字・(仏)教・(須恵)器が渡来人によって伝えられた

飛鳥時代

(法隆)寺は聖徳太子が建てた世界最古の木造建築物

奈良時代

天平文化 聖武天皇の頃の文化

東大寺の(正倉)院は(校倉)造りで聖武天皇の身の回りの品や、遣唐使が持ち帰った物が納められている。

(日本)書紀や(古事)記は日本の国家の起こりをまとめた歴史書

(風土)記は国ごとの地方の言い伝えをまとめた

(万葉)集は和歌集で、貴族や農民の歌が書かれている「貧窮問答歌」が有名

平安時代

(国風)文化 藤原道長の頃の文化

(かな)文字が作られ,おもに女性の間で使われた。

(紫式部)が源氏物語を書いた

(清少納言)が枕草子を書いた

(古今)和歌集は,紀貫之が編集した和歌集

(寝殿)造は貴族たちが自然を庭園に取り入れて住んだ建物。

(大和)絵は日本の風景や人物が描かれるようになった絵。

鎌倉時代

東大寺(南大)門の(金剛力士)像は運慶の作による彫刻

(平家)物語を琵琶法師が語った。

(徒然草)を吉田兼好が書いた

(方丈記)を鴨長明が書いた

(新古今)和歌集は和歌集

室町時代

(北山)文化 足利義満の時代の文化

(金閣)寺は義光の建てた金ぱくを用いた建物

(能)楽は観阿弥と世阿弥によって発展した芸能

(東山)文化 足利義政の時代の文化

(書院)造の(銀閣)寺は足利義政の建てた現在の住居のもとになっている建物

(水墨)画の名人として雪舟がいる

(お伽)草子は一寸法師などの童話が書かれている

(太平)記は南北朝時代のことが書かれた軍記物

安土桃山時代

桃山文化 

(千利休)は茶の湯を完成させ、わび・さびを重視する

(かぶき)踊りは出雲の阿国によって始められた

(狩野)永徳は屏風絵やふすま絵で有名だった

江戸時代

(元禄)文化 徳川綱吉の頃の文化

(松尾芭蕉)は奥の細道を書いた

(井原)西鶴は浮世草子で、大阪の町人での人々の暮らしを小説にした

(近松)門左衛門は人形浄瑠璃で、義理と人情の世界をえがいた

(浮世)絵は、当時の風俗を描いた絵で菱川師宣の見返り美人などが有名

(蘭)学

(杉田)玄白と前野良沢は解体新書を書いた

(国)学

(本居)宣長は古事記伝を書いた

(化政)文化 松平定信の頃の文化

(十返舎)一九は東海道中膝栗毛で当時の人々の生活をこっけいに書いた 

(滝沢)馬琴は南総里見八犬伝を書いた

(錦)絵は多色刷りの版画で(安藤)広重の東海道五十三次や(葛飾)北斎の富嶽三十六景が有名

(小林)一茶はおらが春という俳句集を書いた

仏教

古墳時代

( )から仏教伝わる

飛鳥時代 

聖徳太子の作った( )で、仏教が国家の宗教となる

奈良時代

( )天皇は都に東大寺、地方の国ごとに、国分寺と国分尼寺を作った

( )は、東大寺を建説に協力した

唐の僧、( )は日本に来、唐招提寺を立てた。

平安時代

帰国した遣唐使である( )は天台宗を、( )は真言宗という新しい中国の仏教を伝えた

藤原( )は,浄土信仰の影響を受けた平等院鳳凰堂を宇治に建てた。

平泉の( )寺金色堂は、東北地方の奥州藤原氏が浄土信仰の影響を受けて立てた。

鎌倉時代

( )宗は、法然によって念仏を唱えることで、極楽に往生できるとした仏教。

( )宗は、親鸞によって悪人こそが念仏で救われるとした仏教。

( )宗は、一遍によって開かれた、踊り念仏による仏教

( )宗は、題目を唱える法華経こそ仏教の根本であると日蓮が説いた仏教。

( )宗である臨済宗と曹洞宗を日本に伝えたのは、宋に渡った栄西と道元である。、

古墳時代

(百済)から仏教伝わる

飛鳥時代 

聖徳太子の作った(十七条の憲法)で、仏教が国家の宗教となる

奈良時代

(聖武)天皇は都に東大寺、地方の国ごとに、国分寺と国分尼寺を作った

(行基)は、東大寺を建説に協力した

唐の僧、(鑑真)は日本に来、唐招提寺を立てた。

平安時代

帰国した遣唐使である(最澄)は天台宗を、(空海)は真言宗という新しい中国の仏教を伝えた

藤原(頼通)は,浄土信仰の影響を受けた平等院鳳凰堂を宇治に建てた。

平泉の(中尊)寺金色堂は、東北地方の奥州藤原氏が浄土信仰の影響を受けて立てた。

鎌倉時代

(浄土)宗は、法然によって念仏を唱えることで、極楽に往生できるとした仏教。

(浄土真)宗は、親鸞によって悪人こそが念仏で救われるとした仏教。

(時)宗は、一遍によって開かれた、踊り念仏による仏教

(日蓮)宗は、題目を唱える法華経こそ仏教の根本であると日蓮が説いた仏教。

(禅)宗である臨済宗と曹洞宗を日本に伝えたのは、宋に渡った栄西と道元である。、

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